資本移動が自由の場合、固定相場制において、中央銀行は相場維持のための無限介入が必要である。このことが、独立した政策を行う上で大きな制約となる(国際金融のトリレンマ)。例えば、小国の中央銀行が、買いオペで金利を引き下げてマネーサプライを増やし、景気を良くしたいと考えたとする。 しかし、為替相場を固定している大国の金利より下げた場合、自国で増やしたマネーは利ざやを求める裁定取引により流出することになる。この流出は、中央銀行が買いオペで放出した通貨が、自国通貨売りの取引殺到により中央銀行にすべて戻るまで続く。結果、金利は前と同じになり、景気浮揚効果を持たない。このため、固定相場制において小国は金利を操作することが事実上不可能になる。また、大国であったとしても、その他の大国との取引において上記の制約がまったく無いわけではない。
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欧州が通貨統合(事実上、複数国による固定相場制導入と同義)を行った結果、金融政策担当が各国の中央銀行ではなく欧州中央銀行(ECB)になったのは、このような背景があるからである。
日本の金融政策の推移 [編集]
日本経済の高度成長期である1960年代前後の金融政策は、公定歩合操作による金利政策が中心だった。その後、70年代の田中角栄による日本列島改造計画やオイルショックなどによるインフレーション、また、オイルショックの反動として起こった経済のゼロ、マイナス成長と、さらに為替レートが固定相場制から変動相場制に移行して為替の乱降下などが繰り返されるに及び、金融政策は物価、景気、為替などをそれぞれ同時に視野に置きながら、運営を行わなくてはならなかった。それ以降も、金融自由化、国際化、さらに市場メカニズムに委ねる経済時代が到来して、日銀の金融政策は様々な政策手段を活用せざるを得なくなってきた。
1990年代後半から2000年代前半の日本では、景気が悪化し、物価の下落傾向が続いたため、日銀は金融緩和を行い短期金利はほぼ0%にまで低下した。しかし、これによっても物価の下落が止まらなかったこともあり、それ以上の緩和を求める声が強く、2001年から2006年にかけての5年間、日本銀行の当座預金残高を目標にした量的金融緩和が行われた。日銀当座預金残高を目標とすることは、マネーサプライの代表的な指標であるM2+CDなどの量や伸びを直接目標としたものではないが、日銀当座預金はハイパワードマネーの一部であり、信用創造によってマネーサプライとの間には関係があるため、マネーサプライを目標としたものと言える。この政策は、特殊な場合を除けば金利はマイナスにならないという制約があるため、金利を目標とした金融緩和が限界に達したため採用されたが、効果については評価は定まっていない。