2009年12月04日

ホテルや旅館等で提供される典型的な和朝食には

ホテルや旅館等で提供される典型的な和朝食には、片口(かたくち)と呼ばれる小鉢に、割っていない卵が入れられ、もしくは、既に卵が割り入れられて、供されることがある。この卵は、生卵のまま飲みこむか、または卵かけご飯に用いる。和朝食には卵の他に、飯と味噌汁、漬け物、水産加工品(鯵の干物や乾燥海苔、もしくは海苔の佃煮)、卵焼き、および納豆等が配膳されることが多い。そこで、卵と飯、納豆を合わせ、卵納豆飯として食べる場合もある。また最近は、生卵ではなく、白身が凝固した半熟卵や、黄身がやや固まり白身はやわらかい温泉卵が供される傾向もある。これは、一度火を通すことで生卵が苦手な人も食べやすくなり、洋朝食にも用いることができるため、また、供食側も扱いやすくなり、温泉卵という名前で温泉気分を出すこともできるため、広く用いられるようになった。

卵かけご飯は時間が経つと卵の水分を米粒が吸い込む為、食感が悪くなり、個人差はあるものの、大抵の人は食べにくく感じる。愛好家の多くは、飯に卵をかけてから3分、早くて1分以内、遅くても5分以内には平らげてしまうだろう。勢いよく、一気にすすりこむ食べ方が好まれるが、のどを詰まらせ易いため、個々人がちょうど良い速度を体得することが重要である。もちろん、ゆっくり食べても食感を気にしなければ何ら問題は無い。
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直かけ派。
卵をご飯に直接かけ、そこに醤油を適量かけて食べる食べ方。
ご飯に窪みをつけてそこに落とす派。
何もせずそのまま落とす派。
卵ののせ方ではなく、醤油のかけ方にこだわる食べ方。
卵のみならずご飯にも醤油をかける派。
卵のみ、もしくはご飯にのせた卵に穴を開け、そこに注ぎ込む派。
上記を組み合わせた食べ方。
後かけ派。
器に卵を割って、そこに醤油や他の調味料を混ぜ込んでからご飯にかける食べ方。
醤油を適量入れ、よく混ぜてからかける派。
醤油を入れた後、軽く混ぜてからかける派。
醤油に砂糖を加え、すき焼きの割り下に卵を混ぜたような味にしてからかける派。

2009年11月29日

慢性疲労症候群

慢性疲労症候群(まんせいひろうしょうこうぐん)は、原因不明の強度の疲労が長期間(一般的に6ヶ月以上)に及び継続する病気である。この疾患の概念はアメリカで生まれたので、英語 Chronic Fatigue Syndrome や Myalgic Encephalomyelitis(筋痛性脳脊髄炎)、 Post-viral fatigue syndrome(ウイルス感染後疲労症候群)のアクロニムからCFS、ME、PVFSと呼ばれる。また重篤度が伝わらない・慢性疲労と区別がつきにくいということから、Chronic Fatigue and Immune Dysfunction Syndrome(慢性疲労免疫不全症候群)という呼称を患者団体が提案してもいる。以下CFSと略す。

主訴は、身体及び思考力両方が激しく疲労し、日常生活を著しく阻害する。

長期間の疲労感の他に次の症状等を呈することがある。
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微熱 ・咽頭痛 ・頸部あるいはリンパ節の腫張・原因不明の筋力低下
羞明 ・思考力の低下・関節障害 ・睡眠障害
原因不明の疾患で、通常、血液検査等も含む全身の検査を受けても他の病気が見つからなく、精神疾患も当たらない場合に初めて疑われる(除外診断)病気である。しかし、詳細に検査をすると神経系、免疫系、内分泌系などに異常が認められる場合もある。

アメリカ疾病予防センター(CDC)によると、完治は希で5〜10%であるものの、治療により改善したり、ある程度回復するとされている。日本では、約38万人(0.3%)がCFSを罹患していると推定されているが、認知度の低さにより、適切な診断を受けていないか、うつ病・神経症・更年期障害・自律神経失調症等に誤診されている患者が多いと思われる。

2009年11月23日

廃倉庫の再利用と不動産業

この物流高度化の流れに応えられない老朽化した倉庫は、廃業してオフィスビルかマンションか駐車場になる場合が多い。

現に、日本国内の多くの倉庫業者の利益の源泉は、かつて川や運河沿い、古い幹線道路沿いなどに持っていた倉庫を取り壊して作ったオフィスビルやマンション、ショッピングセンター等の経営による不動産賃貸業である。老舗の倉庫業者は、地価の安い時代に買った多くの土地資産(いわゆる含み益)を所有することから、その資産の有効活用の行方をめぐりしばしば株式公開買い付けによる企業買収の対象となる。

欧米では多くの街で、港湾地区や川沿いなどに老朽化して廃墟と化した大型倉庫が大量に打ち捨てられており、景観やセキュリティー(防犯)上の頭の痛い問題となっている。犯罪の温床となるほか、1980年代末にはイギリスなどでしばしば不法占拠された上、レイヴパーティーの会場とされたこともあった。
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荒れた旧港湾の再生のため、欧米では廃倉庫群はさまざまに処理されてきた。取り壊されてウォーターフロント地区のビジネスセンターのオフィスビルの敷地となるか、あるいは倉庫の建物そのままで改修(リノベーション)されて美術館・博物館・瀟洒なショッピングセンターとなってウォーターフロント地区に賑わいを生み出すか、ほとんど手を加えない状態で大きなアパート兼アトリエ、ギャラリー、レストラン、クラブに改造され先端的な芸術地区を形成したりすることもある。(今日高級ショッピング街として有名なニューヨークのソーホー地区は、もとは廃業した繊維倉庫などのロフト(上層階、屋根裏部屋)を芸術家がアトリエとして利用し、ギャラリーなど美術関係者が集積したことが発展の端緒である。)

2009年11月04日

大屯火山群を主とする火山による景観が

大屯火山群を主とする火山による景観が陽明山国家公園の特色である。公園中には一般に開放される小油坑遊憩区、冷水坑地区、大屯遊憩区、二子坪遊憩区、擎天崗地区、陽明書屋、林語堂故居、龍鳳谷硫磺谷遊憩区、および学術研究者にのみ開放される生態保護区として鹿角坑保護区、夢幻湖保護区がある。

小油坑遊憩区:海抜約805メートルにある中央部の窪みから一年中蒸気が噴出している。七星山の北西麓に位置し七星山歩道の登山口となっている。
冷水坑地区:陽明山国家公園の他の温泉に比べて低温である40℃の湯が湧出することから冷水坑を中心とする地区。湧出水に硫黄分20?40%を含有する台湾唯一の沉澱硫磺礦床であり、池水は乳白色を呈する。付近の海抜約860メートルにある夢幻湖生態保護区内の湖には、台湾固有の水生蕨類である台灣水韭が群生し、一般の立ち入りが制限されている。
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大屯遊憩区:大屯群峰、面天山、向天山、菜公坑山等を含む地区。海抜は約800メートルで、観光センターでは「藍染」産業を紹介している。大屯自然公園と称されることもある。
二子坪遊憩区:二子坪は火山活動により形成された凹地であり、大屯主峰と二子山の間に位置する。地形の関係でしばしば霧が発生することでが知られる。地区内の1,700メートルの歩道は自転車の乗り入れが禁止されている。

2009年10月27日

ウップルイノリ(岩海苔)とスサビノリは

ウップルイノリ(岩海苔)とスサビノリは、寿司(海苔巻き、軍艦巻き)、おにぎり、磯辺餅、ふりかけ、ラーメンの具などに使われる。一方で、フノリ(布海苔)やアオノリ(青海苔)は、前者同様、おにぎり、ふりかけの他に、お好み焼きのふりかけ、お吸い物などに使われる。日本では極めてよく利用される食材である。

味を付けている海苔を「味付け海苔」と言う。老舗である山本海苔店が開発した。そのほか、海苔を細かく刻んだきざみ海苔や、海苔の佃煮(関東では桃屋の「江戸むらさき ごはんですよ!」、関西では磯じまん・ブンセンの「アラ!」などが代表的)などがある。

また、海苔にはたんぱく質、食物繊維、ビタミンなどが豊富に含まれており栄養に富んでいる。
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なお、乾燥させた海苔は湿気に弱いので、乾燥剤を入れた密封容器に保存する。
古くは紫菜(むらさきのり・あまのり)・小凝菜(いぎす・テングサ)・鹿角菜(ひじき)などをのりと称した。とくにヒジキなどは、粘りを利用し、紙と紙を接着する接着剤としても使用された。糊をのりというのは、奈良時代に於いて紙を貼り合わせる物が海苔だったことに由来すると考えられる。

古くは『常陸国風土記』(713年)に登場しており、ヤマトタケルに関して次のような記述が見られる。「古老の曰(い)へらく、倭武の天皇 海辺に巡り幸(いでま)して 乗浜(のりのはま)に行き至りましき。

2009年10月18日

武力紛争の際の保護

第二次世界大戦では、武力による文化遺産の破壊行為のみならず、占領国が被占領国の文化遺産を強制的に買い取るという事実上の組織的略奪が行われた。こうした反省に基づき、1954年に武力紛争の際の文化財の保護に関する条約がユネスコの主導により採択された。条約は締約国に対して、平時に適当な措置を取ること、武力紛争の際に文化遺産を尊重すること等を義務付けるとともに、特に重要な文化遺産については国際的な管理下に置く制度を定めている。

1990年代には、武力紛争の主要な原因が民族紛争や宗教対立へと変化したことに伴い、文化遺産は敵対する民族の象徴として攻撃目標とされるようになった。こうしたことから規定が見直された第二議定書が1999年に作成され2004年に発効した。第二議定書は、締約国間の武力紛争時のみならず、平時及び非国際的武力紛争にも適用される。日本は2007年に条約を批准したが、主要国ではアメリカ合衆国やイギリスが未批准となっている。
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日本国政府による文化遺産保護制度は主に文部科学省および文化庁が所管している。制度の原型は明治時代に創設され、時代情勢を反映した改正を経て今日に至っている[6]。現在の制度は1950年に制定された文化財保護法によって一体的に規定されているが、このような包括的な制度は主要国では他に例を見ないものである。同法は地方公共団体の役割についても規定しており、これを受けて多くの地方公共団体が「文化財保護条例」等の名称の条例を制定している。

2009年06月18日

健忘(けんぼう)は記憶障害のうち

健忘(けんぼう)は記憶障害のうち、特に宣言的記憶の障害された状態を指す。宣言的記憶(陳述記憶)とは記憶のうち言語で表現できる種類のもの、エピソード記憶や意味記憶のことである。

一般的に言う「もの忘れ」から「記憶喪失」まで含んだ概念である。 なお、健忘の「健」は、甚だの意である。健闘の「健」と同じ意味。

健忘は様々な病態および症候の総称であり、いくつかの観点から分類ができる。

原因による分類 [編集]
心因性
心的外傷やストレスにさらされたことでおこる健忘。精神病理学的には解離の一種に分類され、解離性遁走や譫妄と合併することも多い。脳に器質的な障害はみられない。
外傷性
頭部外傷をきっかけとしたもの。
薬剤性
精神作用のある薬剤の使用によるもの。飲酒によるものが体験されることが多く、睡眠導入剤によるものもよく知られる。
症候性
全身疾患の症状としての健忘。コルサコフ症候群、正常圧水頭症などでは代表的な症状である。
認知症(痴呆)
認知症で健忘は必発であり、初期からみられる。また、神経の変性疾患で健忘そのものが症状である疾患もこれに分類される。
ペットの医学
家庭用語
ハーブ園芸案内
おしゃれ用語
お茶だ百科
日本の経済
ステキな花言葉
海水魚
美肌美人
ステキ・手作り
絵本
経営工学
ドッジボール
美容外科
アームレスリング
川崎病
沖縄
サルサ (ダンス)
天文学
衛星放送
投資信託
体操
子宮内膜症
絶滅危惧種
薬剤師
テレビ番組
整形外科学
錬金術
毒性学
超能力

時間的関係による分類 [編集]
前向性健忘
受傷などした以降の記憶が抜け落ちた状態。記銘、すなわち新しく覚えることの障害と解釈できる。
逆向性健忘
受傷・発症より昔の記憶が抜け落ちた状態。記憶を呼び出す想起の障害と解釈できる。
その他
薬剤性のように、薬剤が有効である間の記憶がない場合は、睡眠導入剤であれば「中途覚醒時健忘」などと表現することがある。

思い出せない記憶の内容による分類 [編集]
全健忘
健忘の期間内の記憶すべてが思い出せない状態。
部分健忘
期間内の記憶のうち、思い出せるものと思い出せないものが混在した状態。

疾患と診療 [編集]
健忘を主症状とし、疾患概念の確立されたものには以下のようなものがある。

全生活史健忘(Generalized Amnesia) [編集]
発症以前の出生以来すべての自分に関する記憶が思い出せない(逆向性・全健忘)状態。自分の名前さえもわからず、「ここはどこ?私は誰?」という一般的に記憶喪失と呼ばれる状態である。「記憶喪失」と同視されている。障害されるのは主に自分に関する記憶であり、社会的なエピソードは覚えていることもある。

多くは心因性。まれに、頭部外傷をきっかけとして発症することがある。発症後、記憶は次第に戻ってくることが多い。治療としては、催眠療法で想起を促すことなどが行われる。

一過性全健忘(TGA:Transient Global Amnesia) [編集]
健康だった人が、突然前向性健忘をおこし、新しいことをまったく覚えられなくなるもの。自分の周囲の状況を把握できなくなるため本人は混乱し、同じ質問を繰り返す。

通常24時間以内に回復し、積極的な治療は不要なことが多い。ストレスの多い人に起こりやすく、側頭葉の血流低下が関与しているとみられている。

2009年05月31日

固定相場制からの制約

資本移動が自由の場合、固定相場制において、中央銀行は相場維持のための無限介入が必要である。このことが、独立した政策を行う上で大きな制約となる(国際金融のトリレンマ)。例えば、小国の中央銀行が、買いオペで金利を引き下げてマネーサプライを増やし、景気を良くしたいと考えたとする。 しかし、為替相場を固定している大国の金利より下げた場合、自国で増やしたマネーは利ざやを求める裁定取引により流出することになる。この流出は、中央銀行が買いオペで放出した通貨が、自国通貨売りの取引殺到により中央銀行にすべて戻るまで続く。結果、金利は前と同じになり、景気浮揚効果を持たない。このため、固定相場制において小国は金利を操作することが事実上不可能になる。また、大国であったとしても、その他の大国との取引において上記の制約がまったく無いわけではない。
スポット ネイル 税理士 介護 起業 ローン 介護 メンタル 文房具 学習 特産物 プリスクール 旅館 健康 弁護士 やせる 開業 旅行 在宅 キャッシング 包茎 食品 リフレ ペット 教育 交通地図 ステイ 遊園地 化粧品 信託 エステ サプリ SOHO 趣味 税理士 家具 包茎 教材 電器製品 生活雑貨 生涯学習 観光 審美歯科 交通 健康 アルバイト 賃貸 クレジット 警備

欧州が通貨統合(事実上、複数国による固定相場制導入と同義)を行った結果、金融政策担当が各国の中央銀行ではなく欧州中央銀行(ECB)になったのは、このような背景があるからである。

日本の金融政策の推移 [編集]
日本経済の高度成長期である1960年代前後の金融政策は、公定歩合操作による金利政策が中心だった。その後、70年代の田中角栄による日本列島改造計画やオイルショックなどによるインフレーション、また、オイルショックの反動として起こった経済のゼロ、マイナス成長と、さらに為替レートが固定相場制から変動相場制に移行して為替の乱降下などが繰り返されるに及び、金融政策は物価、景気、為替などをそれぞれ同時に視野に置きながら、運営を行わなくてはならなかった。それ以降も、金融自由化、国際化、さらに市場メカニズムに委ねる経済時代が到来して、日銀の金融政策は様々な政策手段を活用せざるを得なくなってきた。

1990年代後半から2000年代前半の日本では、景気が悪化し、物価の下落傾向が続いたため、日銀は金融緩和を行い短期金利はほぼ0%にまで低下した。しかし、これによっても物価の下落が止まらなかったこともあり、それ以上の緩和を求める声が強く、2001年から2006年にかけての5年間、日本銀行の当座預金残高を目標にした量的金融緩和が行われた。日銀当座預金残高を目標とすることは、マネーサプライの代表的な指標であるM2+CDなどの量や伸びを直接目標としたものではないが、日銀当座預金はハイパワードマネーの一部であり、信用創造によってマネーサプライとの間には関係があるため、マネーサプライを目標としたものと言える。この政策は、特殊な場合を除けば金利はマイナスにならないという制約があるため、金利を目標とした金融緩和が限界に達したため採用されたが、効果については評価は定まっていない。

2009年04月28日

蜂起に至る経緯

ハンガリーは、戦後ヨシフ・スターリンに忠実だったラーコシ・マーチャーシュが全権を握っていたが、経済政策の失敗から生活水準は低いままに置かれていた。労働者の不満は、工場の自主管理と労働組合の結成の自由の要求という形となり、それはサッカー場での暴動という形で現れていた。また、農民たちも政府の強制的な集団化から悲惨な状況にあり、農地の私有と耕作の自由を要求していた。
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ジャーナリストや文筆家からも労働環境の改善や言論の自由が要求され、学生も大学の狭き門と学ぶ環境を改善しようとして当局から独立した学生の組織を設立していた。国民全体から不平不満が巻き起こる中、独裁政党であったハンガリー勤労者党内でもラーコシらスターリン主義者を批判する改革派が台頭。そこへソヴィエト共産党内部で行われたニキータ・フルシチョフのスターリン批判演説が、幹部たちに大きな議論を呼び起こした。

1956年7月18日、ソ連の圧力によりラーコシは党書記長の辞任に追い込まれた。しかしその後任には、スターリン主義者のゲレー・エルネーが選出された。これに反発した市民は、集会禁止令にもかかわらず、ブダペストで大規模なデモを行なった。ソ連指導部は急遽、党幹部会のアナスタス・ミコヤンとミハイル・スースロフの派遣を決定したが、事態を収拾する間もなく、蜂起が勃発する事態に至った。

ミコヤンとスースロフがハンガリーに出かけている間に、ソ連指導部はハンガリーに対する出兵を決定する。ハンガリーから戻って真相を知ったミコヤンは、フルシチョフの自宅に押しかけて、自らの自殺をほのめかして派兵の撤回を求めたが、フルシチョフはこれを拒否した

2009年04月13日

故事(こじ)

故事(こじ)とは、中国の古典を起源として、昔から伝えられてきた教訓話やいわれのことをいう。

故事をもとにした漢字数文字からなる慣用句を、故事成語(こじせいご)や故事成句(こじせいく)と言う。一部は和語に置き換えられて、ことわざに成っている場合がある。「推敲」や「矛盾」などは特に有名である。

圧巻
古代中国で行われた官吏登用試験である科挙で、もっとも成績の良かったものの答案(巻)を一番上に置いた。このことから、書物の中で一番優れた詩文を「圧巻」と呼ぶようになり、書物以外にも用いられるようになった。

井の中の蛙(井蛙の見)
井戸の中にいるヒキガエルは、自分が一番大きな生き物だと思っていた。しかし、それをウミガメが覗き込む。その体はヒキガエルより何倍も大きく、彼はヒキガエルに「こんな狭いところで何をしているのか?」と不思議そうに訊ねた。ヒキガエルはそれが聞き捨てならず、ウミガメにここの住み心地のよさを教え、彼を誘い込もうとするも、その井戸はウミガメには狭すぎて入れたものじゃない。そしてウミガメは自分が住んでいる海の広さを教え込むと、ヒキガエルは驚いた。

これはある儒者が、荘子の教えを聞いてからは自分の考えが世に通用しないのを憂い、友人に相談を持ちかけたところ、その才のある友人が窘めたたとえ話である。つまり、この男はその儒者に「まだまだ考え方が狭い。だから、もっと広い視野で学問を見よ」と暗示したのである。

このことから、見識が狭いこと、またそのような人を「井蛙」、「井蛙の見」などと呼ぶようになり、日本では「井の中の蛙、大海を知らず」という諺で知られるようになった。

臥薪嘗胆
楚の伍子胥は、楚の平王に父と兄を殺された。なので呉の闔閭に仕えることにした。伍子胥は孫武と協力して呉を富国強兵にしていった。が、越との闘いで、怪我を負い、志半ばで闔閭は死ぬ。闔閭の息子夫差が後を継ぎ、越王勾践に復讐を誓う。その気持ちを忘れないように、薪の上で寝た。伍子胥の協力で越を破った際、伍子胥の反対を受けながらも勾践を呉に仕えるという条件で、越の降伏を許してしまう。勾践は農民と共に質素な生活を送り、屈辱を忘れぬために、にがい胆を時々なめて報復を誓った。時はたち呉の国力が落ちた時に、勾践は呉を破り、呉王夫差を処刑する。「臥薪嘗胆」とは、復讐するために、長きに渡り苦労を重ねる事である。

画竜点睛・画竜点睛を欠く
梁の国の武帝は、仏教を厚く信仰しており、たくさんの寺を建てて、寺の装飾画は張という画家に描かせていた。張は都の安楽寺に4匹の龍を描いた。しかし、それらどの龍にも瞳が描かれておらず、聞くと張は、瞳を描く入れると龍が絵を飛び出ていってしまうという。人々はそれを信用せず、試してみるよう頼んだ。張は2匹の龍だけに瞳を描き入れた。すると、外では雷雲立ちこめ、雷鳴響き、雷で寺の壁が壊され、瞳を描き入れた2匹の龍が絵から飛びさっていった。人々は驚き、張の画力に感服した。残った瞳のない2匹の龍は今も安楽寺に描かれたままである。

このことから「画竜点睛」は最後の仕上げの重要さ、あるいはそれに値する物事を指す。(龍が絵から浮き出ることは、仕上げの重要さ、大きさをたとえたものと思われる)。普段は「画竜点睛を欠く」という形で最後の仕上げがない、最後の詰めを欠くという意味で広く使われる。睛は「ひとみ」という意味であり、「画竜点晴」は書き誤りである。

完璧
趙の藺相如が国宝の璧を携えて秦に赴き無事持ち帰った故事にちなむ。詳細は藺相如に記載。

杞憂
杞の国に、天地が崩れ堕ちて身の置き場が無くなるのではないかと夜も眠れぬほど心配した人がいた。このことから、無駄な心配、取り越し苦労のことを指して「杞憂」という。

疑心暗鬼を生ず
ある山里に住む木樵は自慢の斧を持っていた。だが、ある日、その斧を無くしてしまう。そんなとき彼はふと、この前の出来事を思い出した。隣の息子がその斧を見て自分も欲しいようなことを言っていた気がする。そこで、彼はその子供のことが気になり近寄ってみると、偶然にもその子供は急用を思い出したと言って逃げ出してしまった。彼はますます怪しくなり、何とか白状させてやりたいと思ったが、その時また何かを思い出してハッとする。実は、その斧は、荷物が多かったために自分で山中に置いてきたのである。そして、山中を探してみると案の定、斧はそのまま置き去りにされていたのであった。

これは列子に記載されている一種のたとえ話であり、このことから「自分が疑いの心を持つと、誰に対してでも疑わしく思えてしまうこと」という意味になった。また、この教訓を逆説的に捉えたものとして、「七遍温ねて人を疑え」(つまり、人を疑う前に自分の身元からよく探せという意味)という諺がある。

漁夫の利
2つの勢力が1つの事柄について争っている間に、第三者が利益を得てしまうこと。「鷸蚌(いつぼう)の争い」ともいう。鷸(しぎ)と蚌(はまぐり)が争いあい、両者とも漁師に捕まったという比喩が元になっている(出典:戦国策・燕策上)。

五十歩百歩
世は戦国時代、魏の恵王は、孟子に尋ねた。 「わたしは、常日頃から民百姓を大事にしているつもりだ。だが、他国の民が魏を慕って流入してきた様子がない。これはどういうことなのか?」 孟子は言った。 「まず、王に尋ねます。戦場で2人が怖くなって逃げ出しました。ある者は100歩逃げて踏みとどまり、ある者は50歩で踏みとどまったとします。そこで50歩逃げた者が、100歩逃げた者を臆病者と言って笑ったとします。王はどう思われますか。」 「それはおかしい。逃げたことには違いないではないか。」

「そのとおり」、と孟子は言う。そして魏王の政策も他国と比べて「五十歩百歩」なのだと指摘し、孟子の勧める王道を唱えていく。

つまり、大差のないこと。似たようなことわざに「どんぐりの背比べ」がある。

塞翁が馬
塞の国のある翁(老人)は、何よりも自分の馬をかわいがっていた。その馬は、周りからも評判が立つほどの駿馬であったが、ある日突然、蜂に刺された拍子に飛び出してしまう。一向に帰ってこない馬の様子に、周りからは翁に同情するほどであったが、翁は「これがきっかけで何かいいことが起こるかも知れない」とだけ言って、我慢強く待ち続けた。すると、どうだろうか。しばらくして、その馬が別の白い馬を連れ帰ってきたのである。しかも、その白馬も負けず劣らずの優駿であり、周りの者は口々に何と幸運なことかと囃し立てたが、翁は「これがきっかけで、別の悪いことが起こるかもしれない」と自分を戒め、決して喜ばなかった。
 その予感は的中した。かわいがっていた孫がその白馬から落ちて、片足を挫いてしまったのである。周りはまた同じように慰めの言葉を掛けたが、翁はまた同様に「いいことの前兆かも知れない」と告げる。それからしばらくして、隣国との戦争が勃発した。若い男は皆、戦争に借り出され、そして戦死した。だが、孫は怪我していたため、徴兵されず命拾いした。そして、戦争も終わり、翁は孫たちと一緒に末永く幸せに暮らしたという。

このことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり、だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になり、「人間(じんかん)万事塞翁が馬」などと使われる。類義句は「禍福は糾える縄の如し」。

折檻
前漢の成帝時代は王氏による腐敗政治に染まっていて、治安が乱れていた。中でも自らを学者と騙る張禹という男が政治に介入し、丞相の地位をいいことに日々贅の限りを尽くしていた。そんな状況を見かねた臣下の一人である朱雲はある日、意を決して成帝に「自分が国と帝の将来のため、張禹の首を刎ねる」と発言する。しかし、そのことが帝の逆鱗に触れ、彼は打ち首を命じられた。だが、彼は諫死を覚悟の上で盛んに進言を続け、必死に欄干にしがみついた挙げ句に折れてしまうほどだった。そんな状況を一部始終見通していた側近の辛慶忌はその朱雲の真意に心打たれ、彼が本当に国のことを思ってこのような無礼を蒙ったのだと、涙ながらに陛下に申し立て、同時に彼の罪を赦すよう歎願した。すると、辛のような大人にまでそのような態度を執られると、流石の成帝も改心、善政を尽くすよう決心し、同時に自への戒めとして折れた欄干をそのままにしておくよう部下に伝えたという。

以下の説話から、この話の元々の意味は「目上の人に対して、強く諫めること」であり、檻とは欄干、手すりのことである。しかし、後に派生して”厳しく叱る"という意味になり、今日では"体罰を交えて懲らしめること”という意味に捉えられるようになった。

先んずれば将ち、人を制す

四面楚歌
紀元前202年、4年間に及ぶ漢楚の戦いは終結しようとしていた。最初は楚の項羽が軍を優位に進めていたが、漢の劉邦が少しずつ形成を逆転し始め、ついに追い詰められた項羽は垓下(ガイカ)に砦を築き、立て篭もった。しかし劉邦の軍は砦を幾重にも取り囲んでいた。ある夜、砦の周囲、東西南北の四面から項羽の祖国の楚の歌が聞こえてきた。項羽は、敵の漢軍の中に降伏した楚の人がこんなにもいるのだと絶望し、最期を悟った。

これが「四面楚歌」の由来を指し、周りを敵に囲まれている状態や、孤立している状態に使われる。

守株
ある男が農作業に勤しんでいると、目の前を跳ねていたウサギが切り株に当たってそのまま死んだ。彼は喜んで、思わぬ獲物を家族に見せると、家族は「高く売れる」と皆声を揃えて喜んだ。すると、男は明日からは木を伐ってこつこつと稼ぐのはやめにして、ウサギを待って一攫千金を稼ぐことを策略する。そして、ありとあらゆる木を切り倒して、来る日も来る日もウサギが死ぬのを待ちわびた。ところが、そんな偶然など滅多に起こるはずもなく、いつしか男は周りの笑いものにされ、そして自分が耕していた田畑は荒れに荒れてしまい、以前にも増して貧乏になってしまったという。

このことから、物事はいつもうまく行くものではないという教訓からすなわち古いやり方ばかりで、進歩がない、または、偶然を当て込むような愚かなことをする、という意味となった。今日、日本では「株を守りて兎を待つ」という諺になっており、類義の諺に「柳の下の泥鰌」がある。また、『待ちぼうけ』という童謡は、この故事をモチーフにしたものである。

助長
宋の国の男が、自分で植えた苗の成長が遅いので心配になって、毎日畑へ通い世話を続けたが、一向に成長する気配がない。そこで男は苗の成長を助けてあげようと、一つずつ苗の先を上に引っ張った。疲れて家に帰った男はそのことを家族に話した。それを聞いた息子があわてて家を飛び出し、畑へ向かうと、やはり苗の根が土から浮き、弱って枯れてしまっていた。

このことから「助長」は、物事を助けようとして、余計に害を与えてしまうこと、という意味に使われるようになったが、今日では単に「第三者が物事を助けること」という意味でも使われる。

推敲
唐の都長安に、科挙(官吏の登用試験)を受けるためにはるばるやってきた賈島は、乗っているロバの上で詩を作っていた。その途中、「僧は推す月下の門」という一句を口ずさんでから、「推す」のほかに「敲く」という語を思いついて迷ってしまった。彼は手綱をとるのも忘れ、手で門を押すまねをしたり、叩くまねをしたりしたが、なかなか決まらなかった。あまりにも夢中になっていたので、向こうから役人の行列がやってきたのにも気づかず、その中に突っ込んでしまった。さらに悪いことに、その行列は長安都知事、韓愈の行列であったため、その男はすぐに捕らえられ、韓愈の前に連れて行かれた。そこで彼は事の経緯をつぶさに申し立てた。優れた名文家であり、詩人でもあった韓愈は、賈島の話を聞き終わると、「それは『敲く』の方がいいだろう」と言った。そして、二人は、馬を並べていきながら詩を論じ合った。

このことから「文章を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」を「推敲」という。

漱石枕流
孫楚という男は、ある日友人に相談を持ちかけた。自分は役人であるが、俗世間の煩わしさにほとほとうんざりしており、竹林の七賢のような、俗世間を離れた暮らしをしたいと持ちかけ、思わず「石に漱ぎ、流れに枕す」ような暮らしをしたいと告げた。すると友人が笑って、「それを言うなら、石に枕し、流れに漱ぐ(すなわち、枕を石にして、水の流れで口を漱ぐような自然と一体になった暮らしをすること)じゃないか」と突っ込まれる。すると、学問にプライドを持っていた男は思わず、「いや、それで間違っていない。石に漱ぎとは石で歯を磨いて、流れに枕するとは、俗世間の煩わしさも含め、全て水で洗い流すことだ」と言い張った。

そこから、常に意地っ張りなことを漱石枕流、「石に漱ぎ、流れに枕する」というようになった。明治時代の作家、夏目漱石の名前もこの故事に因むといわれている。

蛇足
ある村の祭りで、長が貴重な酒を貰った。だが、公平に分けたら分け前が少なく、物足りない。そこで、ある男が「今から蛇を描いて、一番早く描き上げた者が飲むことにしよう」と画策する。 実は、この男は絵が得意で、初めから自分が全部せしめる魂胆があった。そして、他の者たちもそれに納得して絵描きの勝負は始まった。男は器用にさらさらと描き終え、得意になって足まで描く余裕があるとばかり、足まで付け足してしまう。

しかし、その間に別の男が描き終え、そして賞品の酒を飲み干してしまった。始めの男は文句を言うが、後から酒を取った男は「お前の描いた生き物は足があるから蛇ではない」と尤もな意見を告げ、得意になっていた男を落胆させてしまった。

このことから「蛇足」とは、わざわざ余計なことまでしてしまうたとえとなった。また、物事が巧くいっているときに、調子に乗ってどんどん手を出すべきではないという教訓にもなっている。

朝三暮四
非常に猿と戯れるのが好きな男がいた。この男は家族のことも放っておいて、猿を可愛がるものだから、餌の時間になるといつも猿が寄ってくる。ところが、それが原因である日、奥さんに「猿の餌を減らしてくれないと、子供たちの食べる物までなくなってしまう」と窘められてしまう。困った男は何とか猿たちを籠絡しようとし、一斉に呼びかけた。これからは「朝には木の実を四つ、暮(ばん)には三つしかやれない」と告げるも、猿たちは皆不満顔。それならば「朝は三つ、暮は四つならどうだ」と言うと、何と猿は皆、納得してしまったのである。

そこから「朝三暮四」は、人を巧みに言いくるめて騙すこと、また猿の立場から、物事の根本的な違いに気付かない愚かな人を指す言葉となった。

借虎威(虎の威を借る狐)
虎は多くの動物を求めてそれを食べる。ある時、狐を捕まえた。狐は「君は私を食べてはならない。天は私を百獣の王にしたのだ。私を食べればそれは天の命令に背くということだ。もし信じないのなら私は君の前を歩いてみよう。多くの動物は私を見て逃げないであるだろうか」といった。虎は納得してそのまま狐について行った。獣はその姿をみて逃げ出した。虎は自分を恐れて逃げているとは思わず狐を恐れて皆逃げているのだと思った。

このことから「虎の威を借る狐」は、大したこともない者が、権力者などの威光をかさに来て威張ることを指すようになった。

背水の陣
楚漢戦争時に、漢の劉邦に仕えていた韓信は兵力20万人の趙を約3万の兵で攻略しなければならないという難局に臨んだ。韓信は少ない兵力で勝つために、一般的な戦術の定石を敢えて無視し、軍団を逃げ場の無い川(死地)の前に布陣した。兵は逃げ場が無いことで決死の覚悟で奮戦し勝利を得た。このことから自らを窮地において、最大限に力を発揮する事を「背水の陣」と言うようになった。

矛盾
楚の国に、矛と盾を売るものがいた。その人は矛について「この矛はどんなに堅固な盾も突き通すことができる」といい、また盾については「この盾はどんなに鋭い矛でも突き通すことはできない」と売り口上を述べていた。そこでそれを聞いた客が「では、その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と聞き、売っていた人は返答に困ってしまった。

このことから「物事のつじつまが合わないこと」を「矛盾」という(詳しい説明は矛盾を参照のこと)。

蛍雪の功
一途に学問に励む事を褒め称える中国の故事。以下の伝承を由来としている。

東晋の時代の車胤は、家が貧乏で灯す油が買えなかったために蛍の光で勉強していた。
同様に、同じ頃の孫康は、夜には窓の外に積もった雪に反射する月の光で勉強していた。
そして、この二人はその重ねた学問により、長じて朝廷の高官に出世している。

梁上の君子

他山の石

チャージ タラソ パント トレード 赤ランプ ヒョウ ナブラ ブルマナ スラト トムトム あしたば おれたち シュズ ルームメ カミオ シシュフ パナマ ダウン すだち ダイナ オカル チンギス リージア ネオジ つるが リニティ バップ オロシ かいづか あつま 石榴 ジエンド プレッ ラウンジ ドロップ ビクー ひらら ビノク シェーカー ラタトゥ 麦わら イキシア パッチ ウイロ 麦わら帽子 単発ガ ネイビー ライフ ムスリム ロベリア